川中島の戦い

6月18日(水)、本年度3回目の主催講座である「川中島の戦い」と題して長野市博物館の原田和彦学芸員さんに講座を担当していただきました。サブタイトルに「川中島の戦いは6回あった」を強調したいとして先生の研究された成果を発表していただきました。【川中島】は「川中島四郡-更科、埴科、水内、高井」とのこと。甲斐の武田信玄にとって、川中島は「意識にない」こと、越後の上杉謙信にとって、川中島は「越後への防波堤」であったこと。私が想像していた肥沃で災害の少ない川中島の平をどうしても手に入れたかったと思っていた内容とはずれていたことが今回の語りで分かりました。ともかく、町公民館としてはこの歴史分野は、川中島町としての重要な位置にあり、欠かすことのできない講座であるので今後も継続して組み立てていきたいと考えています。